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大雪の幌加内から南国の沖縄へ
3日で積雪量1mを超えた幌加内。
北国の代表とも言える、豪雪の町から南へ約2300km。日本人の多くの人が一度は訪れてみたい沖縄への見学旅行。
昨年はコロナの影響もあり、関西へと変更になりましたが、今年は予定通り沖縄本島へ見学旅行に行きました。
移動だけで11時間
幌加内高校が位置する場所は北海道の真ん中より少し北。
朝の6時にバスで千歳空港へ向かい、羽田での乗り継ぎもあって、沖縄のホテルに着いたのは夕方17時過ぎ。
それでも生徒はさほど疲れる様子もなく、初めて踏む沖縄の土地で異国情緒を感じます。
空港から出た時の暖かさ、初めて見る南国独特のパームツリーの木々。
そして事前に調べていた、有名な国際通りなど着いてその日に少しだけ楽しむことができました。
美ら海水族館は見学旅行生だらけ
沖縄の代表的な観光地の一つ、美ら海水族館。
コロナの影響もあり、例年通りではないにしても多くの学校が訪れていました。
そんな中でも少人数の幌加内高校は、フットワークが軽く13名の見学旅行生はそれぞれ好きな場所で南国の魚や哺乳類を楽しみます。
例年通りだともっと多くの学校から見学旅行に来ていることを思うと、毎年高校生で溢れる観光地の一つでしょう。
軽石の影響
ここ最近話題になっていた、沖縄の海岸沿いを軽石が埋め尽くし残念ながらグラスボート(海の中が見えるボート)に乗ることはできませんでした。
変わりに幌加内高校が体験できたのはイルカとの触れ合い。
イルカの調教は動物の中でもとても簡単で〝ひたすら褒める〟だけでジャンプや握手などを覚えていくそうです。
これらの体験で、イルカの調教師や動物関連の職種に興味が出た生徒もいたかもしれません。
そのあとは、沖縄ならではのマリンアクテビティ。
スノーアクティビティーは冬に幌加内で経験できても、マリンアクティビティーは幌加内では冬の時期に行えません。
生徒にとっても12月に海で遊ぶ経験は、北海道で生まれ育つ以上経験できないことでしょう。
見学旅行は授業の一つ
初めての土地や文化に触れることで、新しい知見を増やしたり、今までになかった価値観を持つことができるかもしれません。
楽しむことも見学旅行の一つであり、仲間との関係を強くすることも見学旅行の一つの経験です。
しかしそれだけではなく、幌加内高校の見学旅行では沖縄で起こった歴史を学びながら、旅行としての経験も積みます。
日本人が後世に伝えていかなければいけない、戦争の悲惨さと今の時代のありがたさ。
ネットでどれだけ見ても、その地で感じるものとは大きな差があります。
対馬丸記念館
沖縄が戦争の地となる前に、多くの子供や一般人は九州へ疎開をしました。
その際に、アメリカ軍に見つからないよう「対馬丸」という軍艦に乗り、護衛船をつけて出航。
しかしながら、アメリカ軍に見つかった対馬丸は魚雷攻撃を受けて沈没。多くの子供は海に投げ出され、多くの人が命を落とし、運の良かった人は何日も漂流し助けられた人も現存しています。
子供だけを九州に疎開させ、残された親の中には全ての子供を失った人も少なくはありませんでした。
海に流れ着いた、誰の子供かも分からない変わり果てた遺体を多くの人が海から引き上げ涙しました。
運よく助かった人々もいましたが、彼らの苦しみはさらに続きます。
国から出された箝口令(かんこうれい)によって、疎開する先の沖合で何があったかは他言が禁止されたのです。
決して、アメリカに攻撃されたと言うことのできなかった彼らが、このことを話せるようになったのは日本での戦争が終わり、時代が変わってからのことでした。
また、生徒が亡くなってしまったのに近くの島へ流れ着いた教員は自責のあまり、生き延びて尚、家から出ることすらままならなくなったのです。
焼け落ちてしまった首里城
沖縄を訪れる人が必ずと言っていいほど訪れる首里城。
そして沖縄人の心の拠り所であり、シンボルでもある琉球の城です。
2019年に起きた火災で多くの部分が焼け落ち、現在は跡地を訪れるものになってしまいました。
しかしながら復興はすでに進んでおり、時間をかけて多くの職人がもう一度再建をかけて行なっています。
首里城があったことを知っている人にとっては悲しい跡地。
しかし首里城を見たことがなかった高校生にとっては、いつかまたこの地を訪れて、跡地からの復興を見てもらいたいものです。
自由に散策
見学旅行ではどこの学校も班ごと、もしくは個別に分かれて自由行動の時間があることでしょう。
幌加内高校では、それぞれの班がミッションを計画し、そのミッションを達成する自由行動です。
ミッションと言っても、訪れてみたい場所やそこで何をするかなど、自ら計画を立てて行動します。
昔から変わらない見学旅行の一つでしょう。
ひめゆりの塔
沖縄の見学旅行で「ひめゆりの塔」を訪れない高校はおそらく0なのではないでしょうか。
日本人なら多くの人が知っている「ひめゆりの塔」。
多くの女学生が命を落とし、見学旅行で訪れる高校生と同年代ということもあり、戦争の悲惨さを感じ今への感謝をします。
ここでは平和への宣言を行い、日本人として2度と戦争は行わないということを心に誓い、そして後世に伝えていくべきことでもあります。
今でこそ沖縄の土地はリゾート地として有名な県の一つではありますが、戦争の爪痕が色濃く残り、未来永劫、日本の高校生が学ぶ土地でもあることでしょう。
沖縄では他県と違い、戦争についてやそれらの歴史について段違いで学びの時間が多いとのことです。
自分たちが生まれ、そして育つ地が戦争で大きくダメージを受け、今でも語り部が多く存在する沖縄。
楽しいことも、聞けば悲しみに溢れてしまうことも含めて、幌加内高校の見学旅行は全ての工程を終えます。
まとめ
見学旅行という思い出と学びを得る経験。
大人になるにつれていつかは思い出となり、沖縄で起こった戦争の悲惨さを忘れてしまうかもしれません。
いつか時が経った時に、このブログを読み返し、また違った感情やもう一度学び直したいと思うこともあるでしょう。
卒業アルバムの写真だけではなく、ブログの記事として読み返してもらえることがあると、皆さんが経験したものや感じた感情はさらに大きな財産になるかもしれません。
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