高校を卒業後、幌加内町にあるそば工場の「(株)そばの坂本」へ就職した西村君。
彼が人口1500人の町、幌加内高校で変われたのは「すごく人見知りだったのに少人数の学校が合っていた」からでした。
元々の生まれは名古屋。
中学の途中から静岡、北海道の旭川市と大きな町で生活をしていたものの、大人数での生活はあまり自身の性格に合っていませんでした。
「僕が大きな学校に行っていたら間違いなく今のように人見知りは治っていなかった」
なぜ西村君は幌加内高校で人見知りが克服できたのでしょうか。
少人数だからこその距離感
当時1学年が30人前後。(2020年現在は15人前後)
町の規模からいっても人が多くない田舎での生活と、学校の人数は西村君の人見知りを克服するのに最適な環境でした。
学校の先生との親近的な距離感や小さな学校ならではの先輩、後輩との距離感は今まで感じていたようなストレスを感じることはありませんでした。
少人数の学校だから、そこの環境や人間関係に合う生徒。
そんな彼が卒業後に「幌加内高校じゃなければ今の自分はなかった」と語れる大きな理由は、そのまま小さな町の地元企業に就職したことが証明しています。
幌加内を選んだ
学校を卒業し就職をするなら多くの生徒は大きな町へと戻る中、西村君は高校で3年間を過ごした幌加内町に残り、地元の企業へと就職しました。
高校3年間で学んだそば打ちは、全国最年少(当時19歳)で4段の段位を取得して業界内では大きな話題となりました。
そんな中でも幌加内へ残り地元企業へ貢献する彼の姿は町の人はもちろんのこと、学校へ新しく入学してくる学生にとっても大きな影響を与えています。
町の人々は彼に期待し、彼自身もまた町のそば事業を含め、同世代を盛り上げていきたいという意気込みを持っています。
まるで孫のように可愛がる(株)そばの坂本の創業者も西村君が様々な形でそばに関わり、町の若手代表として成長する姿を誇らしく感じています。
若くして工場長に
自らを「人見知りだった」と語る西村君ですが、幌加内高校で成長し、若干22歳という若さで工場長として活躍しています。
そんな責任ある立場に置かれているのも、西村君への信頼と期待があるから。
日本一のそばの町を誇る幌加内で、そば打ち最年少4段の段位取得。そして(株)そばの坂本の工場長。
あえて小さな町の高校を選んだからこそ、切り開いた自らの道は“人見知り”というコンプレックスからの始まりでした。
コンプレックスとは時に自分の人生を切り開く見えないレールなのかもしれません。
寮生活はとても楽しかった
地元以外の学生が生活する寮生活は今の学生も含め「楽しかった」と口を揃えます。
毎日学校で友達と顔を合わしているにも関わらず、寮で一緒に生活する友達とは、なぜだか少し違う感覚。
毎晩同じテーブルを囲い、食事を共にする仲間とは家から通う高校生活と違った楽しさがあります。
食事以外の全てのことを自分でやり成長していく楽しさ、仲間と共に協力して何かを解決する楽しさ。
寮生活では想像を超えた楽しさがありました。
僕が寮生活を勧める理由
「僕イベントが好きなんですよ。焼肉パーティーとかクリスマスとか友達で楽しむのが」
当時、人見知りだった西村君も寮生活ですっかりと克服し、寮でいくつもあるイベントを毎回楽しんで生活を送りました。
自分たちでイベントを作り、みんなで楽しむという生活は社会人になっても必要とされる能力です。
“楽しむことができる人”
そんな人間は社会に出た後も、周囲から必要とされ多くの仲間が集まる人になります。
繋がりは切れない
少人数の高校ならではの繋がり。
「今でも多くの先輩後輩と連絡をとっているのは幌加内高校ならではないでしょうか」
寮で皆が生活を共にすることもあって、先輩と後輩という垣根を超えての関係は友達の関係を超えた繋がりになっています。
多くの仲間が社会人となり、様々な道を歩いている中でそんな仲間と出会えたのは“人見知り”から選んだ幌加内高校でした。
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